ふつうってなんじゃ?

日常のハテナと日々の暮らしを綴るブログです。

自由は矛盾してる。

自分が何者でもなくなった今、ムダに焦ることをやめた。人生60と考えたら、今の私は折り返し地点の後半戦。もう誰と戦えっていうのだ?と思ってしまったのだ。

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明日やることも決まっていない。自分のお好みで時間を縫っていける。どう繋げてもいいし、貼り合わせてもいい。切っても誰にも文句は言われない。ただ、お金と年は浪費していく。

誰に注意されるでもなく、会社の部品の一部でもない。自由なんだ。だけど縛りがない、自分を留めておく箱がない、その現実にまだ慣れていない。

平日働いていた時は、面倒くさくて読まなかった本を開いて見たり、普段は疲れてしなかったスミの埃をとってみたり。何をしていいものか、自由はそれと同時に手持ち無沙汰だ。

求めていたはずなんだよな…、あれだけ煙たがっていたことが、目の前の生活から無くなると、どうして真逆のことが恋しくなるのか。何を真に求めていきたいのかわからなくなる。

立ち止まってしまった。動いていく先、目的を見失ったというより、最初から最終地点を知らないまま、追いかけられるモノに捕まらまいと走り続けていただけだった。目的地を知らないことを周りに悟られないように。

過去は後悔していない。そうせざるおえない、選ばざるおえないこともたくさんあった。しかし、そのひとつひとつがなければ今の友人はいないし、今の家庭はないわけだから。

自分なりに走り続けた結果が、無職か…と思うとかなしくなる。立ち止まって考える時期と捉えるか、運が悪かったと捉えるか。どちらを選択しても結果は、自分にも他人にもわからないのだから。遠慮することはないのだと思う。

自由は矛盾してる。心が定まらないうちはそのループに陥るんだ。選ぶ怖さ、決断する怖さを楽しいに変換できなければ、自由を選んでも揺らぐだけ。

じっくり心をみつめる。私は何がしたいのか、外面だけを求めすぎて、それが目的だと勘違いをしていないか。周りに流されていないか。夢見心地になりすぎていないか。考える。考える。考えて納得できるまで思考を止めたらダメだ。諦めたら流されていくだけだから。